昭和46年12月19日 特別奉修委員 ★



昨日、お風呂が沸いたから、お風呂へ入って下さいと言うてきた時、ちょうどあたくし、あの、えー、年寄りの部屋で、んー、修行生の浪花節をあそこで聞いておられました。こっちは浪花節、あんまり好きませんから、ん、ちょうど、半ばに行って座って聞き出した所が、もうちょっと素晴らしい浪花節でした。

その、(たまがわかくたろう)というんですがね。もうこの人は名人の中の名人ですね。もうあの、もうその下の次に、春の坂道かなんかっていう(きのすけ)のなんかがあれがありまして、それ見とってから、はあ、なるほど上手とか、いいなと思うけれども、全然その、聞きとってね、例えてあれが舞台かなんかで聞いとって、もう虜、お金をもし、ここに十万円でも持っとったら、もう花に投げてやりたいごたる素晴らしい浪花節でした。

ほお、浪花節ていうて馬鹿にでけんな、こんな名人がおると思って、あたし聞かせて頂いたんですけれども。ほんとにあのー、例えばあたくしどもの信心の上でもね、もうほんっとに、あの有り難うして有り難うしてという中から、生まれてくる思う事ですよね、とき、あたしあの、神様がもう、こんな氏子になら何をやったっちゃ良かと申されるような事があろうと思うですね、やはり。

あたくしども、どこまでもやっぱ信心の(   ?   )いけませんよね。もうこの氏子んなら何を任せたっちゃ良かと。もう何をやったっちゃ投げてやるごとある、神様がね、思いになさるほどしの信心を頂きたい。

あの昨日、結婚式の時に果物かごに、えー、みずみずしいお野菜が一杯こう盛ってある所を頂いたんですけども、その、果物かごと、おー、果物かごという所から、ま、果物を感じ、野菜から野菜を感じたわけですけれども、これは、果物にしろ野菜にしろ、やはりその新鮮さが、ああ、生命ですからね、ですからあのー、これの萎れたものなんかといのは、もう値打ちがない、値段は半分という事になるでしょう。(笑い)

だからほんとにあの、みずみずしい信心さしてもらわなきゃなりませんけれど、今日あたくし、お礼、( ? )さんのお礼申させてもらっとりましたら、あの、買い物、あの、果物かごじゃないけども、買い物かごです、白いね、やっぱりこう、果物かごみたいな。あれに、かい、あの、野菜を買出しに行っておられるという、それに野菜がこう少し入っとるとに、いち、こう、一番目立っておるのが、あの唐黍がね、唐黍がこう。

唐黍っていうなら、あれはそう、みずみずしいじゃなくてから、むしろこう赤くなって、えーあの、赤頭ん所が黒くなったのなら、実が入っとるという。んー、さぱさぱ、あのみずみずしさはないけれども、あのー、赤頭ん所は黒くはなっておるけれども、あらこら、この唐黍はあんまり熟れいっとらんていう感じなんですよ(笑い)、うん。

えーほんとに皆さんの合楽で、えー、ああして特別奉修い、うー、委員、または特別に教会を中心に、特にあたくしの事をこうして祈り願って下さる皆さんの信心。ですから、まあいうなら、えー、合楽の信心は、皆さんの信心を見れば分かるというような、ああ、ものでなからなければならん、また、そうだと思いますよね。

けれどもそのやはり、この場合、みずみずしさという事じゃなくて、やはりあの、今朝からの御理解じゃないけども、苦労しておるという事ね、赤頭が黒うなっておるという事はもう、苦労しておるという事でしょうね。苦労しておる割合に中に実が入ってないとしたら、どういう事になるだろうかと、こう思うわけですね。

やはり今朝あたりの御理解を頂いてみて、自分の信心の中身が、実がばちばち入ってるという事がね、あの、自分でこらあ、じぶ、分からせてもらうわけですけれども。んー、ほんとに中身が一杯あって、えー、もうほんとに有り難うして有り難うしてと例えば、あたくし御霊様へご挨拶を申させて頂いてから、(たまがわかくたろう)じゃないけれども、ほんとにあのー、自分の声に聞き惚れてる語ってるという感じですよね、ゆとりのある。

今日、あの祖先賛詞奏上させて頂きながら、もう有り難い有り難いが祖先賛詞になって、ちょうど、その(たまがわかくたろう)の昨日あたくしが、もしここに懐に十万円でん持っとんなら、もうそれも花にやったっちゃ惜しゅうないち思うた感じを受けたんですよ、ね。もう有り難うして有り難うしてと、おー、いう時にね、はあ、こういう時に大坪総一郎には、もう何やったっちゃいいって神様がおっしゃっておられる、思われるとじゃなかろうかと思うたんですけれども、それです、実りと、実というのは。

ね、お互いが、ね。いうなら自分で自分の心が拝みたいような状態。それがあたくしは、実だと思うんです。ね、必ずしもそのみずみずしさという事はともかくとしても、せっかく、皆さん一所懸命修行なさっておられる、赤頭がもう黒くなっておる、ね、ですけれども、黒うなっとるけれども、開けたら実がびっしり入ってなかったというとね、これは惜しい事です。

せっかくの特別のこうやって信心修行でもなさっておられるのですから、一つ本気で、えー、中身をね、検討さして頂いておかげ頂いて。ほんとにあのね、神様の前に座ったら、立たごとないごとある時、神様の前に座らせて頂いて、有り難うして有り難うしてのその心で祈らせて頂いておる時、ね、自分で自分の心に、いー、見惚れるような、ああ、信心。そういう時に、神様が、ね、えーいわゆる、ほんとに何かを感じて下さるに違いはない、ね。

この氏子になら何を任してもええよ、この氏子になら何をやったっちゃ、惜しいとは思わんとおっしゃるほどしのおかげを頂きたいものですね、どうぞ。



                                        さだみきこ